東京書籍 新しい国語トーク [絵本]
登校の途中,次女みき(仮)が言いました。
「いま国語でやっている『世界一美しいぼくの村』,最後が悲しいんだよね。」
確かに。
「そうだよねえ,で,どんな感じなんだっけ?」
「ヤモがお父さんといっしょに,街にさくらんぼやすももを売りに行くのね。それで街のバザールでがんばって売ったあと,食堂に行ってお父さんとご飯食べてから村に帰ってくるんだけど,その次の冬,ヤモの村は戦争でこわされちゃうんだって。」
3年前,長女ひでひ子(仮)のときも読んだが,あれは最後の段落が実に悲しい。
あの物語に出てきた美しいヤモの村,パグマンは,すももやさくらんぼ,ピスタチオが採れる美しい村。春にはたくさんの花が咲く。
そのパグマンの村がアフガニスタンの内戦で破壊されてしまったことが,最後の段落,たった2行で書かれている。
世界平和についてじっくり考えることも大切だが,朝からこれは重い。オイラは話を変えた。
「教科書で,ほのぼのとする話,何かあったかなあ」
「ごん,おまえだったのか,いつもくりをくれたのは」
いやいや,みき(仮),『ごんぎつね』も最後が悲しい。
「それから,『一つの花』ゆみ子がおにぎり食べたくて,一つだけ一つだけって言うやつ。お父さんは出征しちゃって,そのまま帰ってこないんだ」
世界平和について(以下同文)
「ほら,あの,ヤドカリがイソギンチャクをつけるやつがあったよね」
「『ヤドカリとイソギンチャク』そうそう,ヤドカリは貝がらを引っ越したときに,イソギンチャクを捕まえて,からにくっつけるんだよね。そうしないとタコに食われるから」
ヤドカリも弱肉強食の中で生きていたのだなあ。のほほんと背中にイソギンチャクをつけているだけの,呑気なやつじゃなかったのだなあ。
それじゃちょっと気分を変えよう。何か過去のやつでほのぼのとする教材文なかったかなあ。1~3年で。
「そうだ,えっちゃんがあったよね。あまんきみこさんの」
「『名前をみてちょうだい』だね。えっちゃん大男に勝つんだよね。」
それは2年の時の物語文だったねえ。オイラはあのえっちゃんの強さが好きです。3年になっても何か面白い物語あったよねえ。
「んーと,それから,プップー,サンキュー,サンキューってやつ」
「何それ?知らないよ,プップー,サンキューって。」
あれ?サンキューって登場人物がいきなり言うのがそこはかとなくおかしかった物語があったんだけどなあ。
「んーと,カエルたちが出てきて,そうだ,『すいせんのラッパ』だ」
「全然違うじゃん。プップー,サンキューとは言ってないよ。どっすんぽこ,どっすんぽこ,じゃないの,面白いところ。」
「そうか,そうだったっけ,どっすんぽこ」
今ひとつゆるいオイラの記憶力。1年生でも何か面白い物語文あったよね。
「そうだ,『サラダでげんき』おぼえてる?」
「りっちゃんがサラダつくるやつでしょう。みんなが少しずつサラダの材料を持ってくるんだよね」
「で,最後にはお母さんがむきむき元気になっているの。」
「んーと,それから『はるのゆきだるま』っておはなし良かったなぁ。さびしい雪だるまさんのところに,みんなが遊びに行くんだよね。でも,みんな雪だるまさんのこと忘れちゃって,春に遊びに行ったときにはとけちゃってた」
「あああああ,お母ちゃんはね,あの結末なんだか悲しいんだよう」
オイラ,悲しい話は読んでてつらいんです。大人なのに。『ごんぎつね』をマジ読みしたら号泣できる自信があります。いい話なんですけれどね。
【今回,ご紹介する絵本】
ヤドカリとイソギンチャクは,教科書では書き下ろしですが,下の本を監修した武田正倫さんによるものです。
なまえをみてちょうだいは,ポプラ社文庫から1980年に発行されたあと,2007年にフレーベル館から再刊されています。
すいせんのラッパは,「おいで、もんしろ蝶」(1987年筑摩書房刊,2013年理論社刊,現在手に入るのはこちら)に収録されています。
「いま国語でやっている『世界一美しいぼくの村』,最後が悲しいんだよね。」
確かに。
「そうだよねえ,で,どんな感じなんだっけ?」
「ヤモがお父さんといっしょに,街にさくらんぼやすももを売りに行くのね。それで街のバザールでがんばって売ったあと,食堂に行ってお父さんとご飯食べてから村に帰ってくるんだけど,その次の冬,ヤモの村は戦争でこわされちゃうんだって。」
3年前,長女ひでひ子(仮)のときも読んだが,あれは最後の段落が実に悲しい。
あの物語に出てきた美しいヤモの村,パグマンは,すももやさくらんぼ,ピスタチオが採れる美しい村。春にはたくさんの花が咲く。
そのパグマンの村がアフガニスタンの内戦で破壊されてしまったことが,最後の段落,たった2行で書かれている。
世界平和についてじっくり考えることも大切だが,朝からこれは重い。オイラは話を変えた。
「教科書で,ほのぼのとする話,何かあったかなあ」
「ごん,おまえだったのか,いつもくりをくれたのは」
いやいや,みき(仮),『ごんぎつね』も最後が悲しい。
「それから,『一つの花』ゆみ子がおにぎり食べたくて,一つだけ一つだけって言うやつ。お父さんは出征しちゃって,そのまま帰ってこないんだ」
世界平和について(以下同文)
「ほら,あの,ヤドカリがイソギンチャクをつけるやつがあったよね」
「『ヤドカリとイソギンチャク』そうそう,ヤドカリは貝がらを引っ越したときに,イソギンチャクを捕まえて,からにくっつけるんだよね。そうしないとタコに食われるから」
ヤドカリも弱肉強食の中で生きていたのだなあ。のほほんと背中にイソギンチャクをつけているだけの,呑気なやつじゃなかったのだなあ。
それじゃちょっと気分を変えよう。何か過去のやつでほのぼのとする教材文なかったかなあ。1~3年で。
「そうだ,えっちゃんがあったよね。あまんきみこさんの」
「『名前をみてちょうだい』だね。えっちゃん大男に勝つんだよね。」
それは2年の時の物語文だったねえ。オイラはあのえっちゃんの強さが好きです。3年になっても何か面白い物語あったよねえ。
「んーと,それから,プップー,サンキュー,サンキューってやつ」
「何それ?知らないよ,プップー,サンキューって。」
あれ?サンキューって登場人物がいきなり言うのがそこはかとなくおかしかった物語があったんだけどなあ。
「んーと,カエルたちが出てきて,そうだ,『すいせんのラッパ』だ」
「全然違うじゃん。プップー,サンキューとは言ってないよ。どっすんぽこ,どっすんぽこ,じゃないの,面白いところ。」
「そうか,そうだったっけ,どっすんぽこ」
今ひとつゆるいオイラの記憶力。1年生でも何か面白い物語文あったよね。
「そうだ,『サラダでげんき』おぼえてる?」
「りっちゃんがサラダつくるやつでしょう。みんなが少しずつサラダの材料を持ってくるんだよね」
「で,最後にはお母さんがむきむき元気になっているの。」
「んーと,それから『はるのゆきだるま』っておはなし良かったなぁ。さびしい雪だるまさんのところに,みんなが遊びに行くんだよね。でも,みんな雪だるまさんのこと忘れちゃって,春に遊びに行ったときにはとけちゃってた」
「あああああ,お母ちゃんはね,あの結末なんだか悲しいんだよう」
オイラ,悲しい話は読んでてつらいんです。大人なのに。『ごんぎつね』をマジ読みしたら号泣できる自信があります。いい話なんですけれどね。
【今回,ご紹介する絵本】
ヤドカリとイソギンチャクは,教科書では書き下ろしですが,下の本を監修した武田正倫さんによるものです。
なまえをみてちょうだいは,ポプラ社文庫から1980年に発行されたあと,2007年にフレーベル館から再刊されています。
すいせんのラッパは,「おいで、もんしろ蝶」(1987年筑摩書房刊,2013年理論社刊,現在手に入るのはこちら)に収録されています。
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